Chance Making Story #02 許 雅筑さん日本の耐震技術を母国・台湾へ

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Chance Making Story #02
許 雅筑さん日本の耐震技術を母国・台湾へ

スキーをしに来日したのに現場監督になった「台湾のけんせつ小町」

2018年2月6日。台湾・花蓮を最大震度7の巨大地震が襲った。

12階建てのビルや、41棟もの住宅が倒壊。17名の死者を出した。

この花蓮で生まれ育った一人の若い女性が、日本の建築現場で働いている。

許 雅筑(キョ・ヤツゥ)さんは、「スキーをするため」に2015年に来日。特に夢や目標もないまま来日したが、日本で過ごす時間を重ねるにつれ、日本の建築物の美しさ、そして高い安全性に魅了されていった。

そんな中、故郷を襲った巨大地震。日本でその知らせを受けた彼女は、日本の優れた耐震技術を学び、母国・台湾に持ち帰るため、日本で建築技術者になることを決心する。

愛くるしい笑顔の裏に隠された、故郷を愛する強い思いと確固たる決意に迫った。

大手企業を辞め、「スキーをするため」に来日

許さんが生まれ育った花蓮は、台湾の東部に位置する都市。 3,000m級の山々が海岸沿いに連なり、太魯閣峡谷をはじめ”絶景の宝庫”とも称される台湾屈指の観光地だが、許さんいわく「自然ばかりで、何もない」ところだった。

高校を卒業後は首都・台北に移り、「人力銀行」に入社する。”銀行”といっても、金融機関ではない。直訳すると”ヒューマンバンク”。つまり、日本で言うところの「リクナビ」のようなもので、台湾最大の求職サイトだ。

許さんはWEBデザイナーとして、自社ホームページの作成やWebサーバの構築などを担当。5年間在籍したが、「パソコンと友達になれなかった(笑)」から、27歳のときに退職した。

許さんは、退職後すぐに来日することにした。理由は「スキーがしたかったから」。温暖な気候の台湾は雪が少なく、スキー場がほとんどない。

近年、JAPOW(ジャパウ、Japanとパウダースノーを合わせた造語)という言葉が外国人のSNSを中心に話題となり、海外からのスキー客が大幅に増えているが、許さんも例に漏れず、趣味のスキーを存分に楽しみたい一心で、「特定活動」のビザで来日した。

バイトを転々するうちに気付いた「日本の建築物の美しさ」

来日したのはいいが、日本語学校にも通う予定だったため、とにかくお金が無かった。まずはバイトをしなければならない。最初のバイト先は大手回転ずしチェーン。皿をただひたすら洗う仕事は「まるで機械みたいだった」。

お盆の時期になると、日本人のバイトは誰もシフトに入らなかった。当然、仕事が追いつくはずもないのたが、堆く積み上がった皿を見た日本人スタッフに激怒された。2ヶ月で辞めた。

次の職場は、新橋の居酒屋。”サラリーマンの聖地”だけあって、悪酔いしたオッサンたちばかりで辟易した。ここも長くは続かなかった。

最終的には、新横浜にある焼き鳥屋に落ち着いたのだが、気付けば30歳の誕生日を目前に控えていた。見かねた故郷の母親からは「あなたバカなの?これからどうするの?」と連絡があった。

さすがにこのままフラフラしてはいられない。ただ、日本は居心地が良かった。日本語もしゃべれるようになった。このまま日本にいたい。日本で働きたい。いつの間にか、そう思うようになっていた。

肝心のやりたい仕事は見つからなかったが、日本で生活するうちに、あることに気付いた。

「台湾の家は、20年近く経ったらボロボロになる。でも、日本は20年以上経った家でもすごくキレイ」

許さんが社会人時代を過ごした台北は人口集中が進み、建て替えが追い付かず、老朽化した建築物に溢れていた。未だにトタン屋根も多く、見た目にも悪かった。

オシャレでキレイな日本の建築物に魅了された許さんは、インテリアデザイナーを目指し、デザインスクールに入学。日本語でのプレゼンテーションには苦労したが、高級ホテルなどを手掛ける建築事務所にインターンへ行くなど、新たな夢に向けて着実に経験を積んでいた。

デザインスクール時代。自身の作品とともに

台湾は「違法建築の宝庫」

この地震では、7階建てのホテルや12階建てのビル、さらに41棟もの住宅が倒壊。17名の死者を出した。死因は、建物の倒壊による圧死が多くを占めた。

台湾は、「違法建築の宝庫」とも言われる。建築基準法改正以前の手抜き工事や違法建築による建築物の安全性が社会問題となっている。

特に有名なのが「頂樓加蓋」。台湾の住宅は、一戸建てよりも集合住宅が一般的だが、集合住宅の最上階に住んでいる人間が屋上部分に違法に増築する「頂樓加蓋」が極めて多く存在している。

“増築”と言っても、素人がDIYでちょっと手を施したというレベルではない。壁も屋根も造り込み、快適に人も住める。つまり、住人が4階の建物を勝手に5階に増築してしまうものだ。台風や地震など、災害時の耐性に大きな問題を抱えている。

また、2016年に発生した台湾南部地震では、地上16階、地下1階の店舗兼集合住宅「維冠金龍大樓」が横倒しに倒壊。そこに住んでいた115名もの命が犠牲となった。柱の中からは、大量の一斗缶や発泡スチロールが埋め込まれているのが見つかった。毎年のように大地震が発生する台湾では、違法建築への対応は喫緊の課題だ。

耐震性の低い建築物がなすすべなく崩れ去った故郷の姿を、遠く離れた日本でただ伝え聞くことしかできなかった許さんの心に、ある思いが芽生えた。

「台湾の住宅は、地震に弱い。日本の住宅は、ただキレイなだけじゃなく、丈夫で安全。日本の優れた耐震技術を学んで、その技術を母国・台湾に持ち帰り、地震に強い住宅をつくりたい」

故郷を、そして命を守るために、日本で、建築技術者になると決意した。

地震に強い住宅を建て、命を守りたい

すぐに外国人でも受け入れてくれる住宅メーカーを探した。だが、居酒屋のバイトとはワケが違う。

面接で必ず聞かれたのは、「日本語はどれくらいできるの?」「日本で働いた経験は?」。

許さんの日本語能力のレベルはN2(自然に近いスピードで会話でき、新聞や雑誌等の内容も理解できるレベル)と決して低くはなかったが、専門用語が飛び交う建設現場で働くには心もとなかった。

何より、施工管理の経験は全くない。いくら人材不足の建設業界とはいえ、業界未経験の外国人を技術者として働かせてくれる会社はなかなか見つからなかった。

そんな中、人材会社から紹介されたのは、都内を中心にRC造の住宅を専門に手掛けている会社だった。「地震に強い住宅」にこだわりを持つこの会社は、まさに理想的だった。

何としてもこの会社の現場で働きたかった。どんな会社なのか。何を強みとしているのか。寝る間も惜しんで徹底的にリサーチし、志望動機や質問に対する回答のトークスクリプトを作成した。履歴書はハローワークの職員にあらかじめ添削してもらった。自身のアピール材料に、デザインスクールで作成した図面も持っていくことにした。

完璧な準備をして迎えた面接当日。緊張のあまり空回りし、口から出る日本語はたびたびおかしくなった。

だが、その余りある熱意は社長の胸を打った。

「日本語能力は正直不安がある。でも、こんな熱い想いで働いてくれる人は、今の日本人では採用できない。日本語は働いていれば自然と上達する。就労ビザの取得も待つ。ぜひ採用したい」

立場も国境も超えて、「住宅建築で、命を守りたい」という想いが通じ合った瞬間だった。

実際に面接に持参した図面

いつか台湾に帰る。だけど、それは今じゃない

今は、現場で写真管理や道路使用許可申請などの簡単な業務を担当している。都内を中心に6~7現場を回り、現場代理人、ときには社長について回り、建築技術者としての基本をOJTで学んでいる。

現場で大変なことを聞いてみたが、「全然ない」という。「嫌なことは雨の日に靴がぐちゃぐちゃになることくらい。残業もないし。何より、会社のみんなが優しくて、面白い人ばっかり」と話す顔が自然とほころぶ。

教えてもらったことはすぐにノートにメモ

休日は、渋谷や表参道を回ることが多い。若い女性らしく、てっきり服でも買いに行っているのかと思ったら、そうではないという。

「日本のオシャレな建築物の内装や外装を見て回っているんです。このカフェの内装とか、スゴくかわいいでしょ?」と、目を輝かせながらスマホで撮った写真をたくさん見せてくれた。

勉強熱心な許さんは今、デザインスクールで出会った台湾人の友人から譲ってもらった参考書を使って、二級建築士の学習もしている。技術者の卵。まだまだ学ぶことはたくさんある。

「いつかは台湾には戻りたいけど、今はまったく考えてないです。まずは日本でいっぱい働いて、いっぱい勉強したい。それに、貯金もしないとね」

日本語学校やデザインスクール時代の友人はほとんど帰国した。寂しさを感じることもある。日本の食事が合わず、体重もかなり落ちた。異国の地で、ツラいこともたくさんあるだろう。

だが、許さんの顔は「私は、これからどんな技術者に成長できるのだろうか」 そんな期待と希望に満ちているように見えた。

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