2024/10/16

福島第一原発で10年「自分の生きた軌跡を残したい」 Chance Making Story #20  東條翼さんのStory

cms-top

2011年3月。東日本大震災の発災に伴い、地震や津波による電源喪失で冷却機能を喪失した福島第一原子力発電所で水素爆発が発生。同原発の廃炉に向けて、今なお作業が続いているが、完了まで事故発生から40年後となる2051年を見据えており、まだ道半ばだ。

東條翼さんも廃炉に向けた長い戦いに挑む技術者の一人。2014年に”使命感”に突き動かされ、単身で縁もゆかりもない福島へ。以降、10年間にわたり、第一線で活躍を続けている。

当時の福島第一原発は「野戦病院のよう」

――福島で働きはじめたきっかけは?

もともとは大学を中退して、2年間だけ会社員として働いたあと、保険会社を立ち上げたんですよ。その後は父も同業の会社を経営していたので、合併させて社長として働いていました。ただ、ふと「自分のやりたいことってこれじゃないな」って思ったんですよね。もともと、高校は土木科だったんで、地元の零細の土木屋さんに入社して、3年ほど手元をやってました。

そんなとき、東日本大震災が起きたんですよ。私には当時4歳の子どもがいまして。離婚をして、私一人で育てていたんだけど、このまま今の会社で働いていても、「お父さんって何の仕事してるの?」って子どもに思われるだろうなって。それなら、子どもに胸張れる仕事をしたかった。「あの大変な時代に、俺はこれをやったんだ」っていう軌跡を残したかったんだよね。福島は縁もゆかりもない土地だったんだけど、子どもは親に預けて、2014年に転職して単身で福島に入りました。

――当時は情報が錯綜していましたが、不安はなかったんですか?

不安はありましたね。でもそこは、語弊があるかもしれないけど、チャレンジ精神。あとは自分にも何かできることはないかなっていう使命感があったかな。この危機的な状況の中で、何か力になれることはないのかって。

――最初に福島に入ったときの業務内容は?

原発構内での仕事がメインでしたね。一番最初は建屋の周りに水が流入してきてしまったから、それを止めるっていう仕事だったかな。当時は月に140時間くらいの残業をしてました。今の時代じゃ考えられないですよね。でも、そんなことを言っていられないくらい、当時の福島は人が足りてなかったんですよ。


――当時の労働環境はどのような感じでしたか?

野戦病院のようでしたよ。3階建ての休憩所があったんですけど、足の踏み場がないくらいに人が雑魚寝していて。それに、とてもここでは話せないような色んな方がいましたね。8次下請けなんて方もいました。

あとは、当時は原発周辺は立入禁止区域だったからいわきから通っていたんだけど、除染工事の方たちの車で道が渋滞しちゃって、片道3~4時間は通勤に掛かっていましたね。

でも、福島で働くことだけが目的だったから、それ以外はあまり望んでなかったですね。

「俺はこれをやったんだ」と思いながら死にたい

――今の業務は?

ウィルオブ・コンストラクションに転職したのは2018年なんだけど、主に福島第一原子力発電所(1F)の廃炉に向けた関連工事の施工管理や放射線管理を担当しています。工事では防波堤の復旧とか港湾関係が多いかな。ドローンや水中カメラ、ICT建機を使った施工とか、本当に色々やってきたね。放射線管理だと、作業員の被ばく量検査だったり、周辺環境への放射線の放出量の調査だったり。申請書類もすごく厳しいから、その管理だったり。一般的な施工管理とはちょっと違うのかな。

――福島での10年間を振り返ってみて、一番きつかったことって何ですか?

前の会社のときの話だけど、白い防護服を着て、その上から分厚いカッパを着て、さらにその上に20kgの鉛のベストを着て、20kgの荷物を背負って、真夏に5km歩いたことかな。原発構内には10時間しかいれないんだけど、9時間半のアラームが鳴ったときには車が出ちゃっていて、一人だけ取り残されて。そのまま歩いて帰ったんだよね。本当に死ぬかと思った。あのときの経験に比べたら…他にはないかな。

なにより、愛する家族が迎えてくれる、家を守って帰りを待ってくれる妻がいるからこそ、つらい仕事があっても頑張れています。

――今後の目標は?

現状にはあまり満足してないんですよね。経験も積んで、自由も利くから、居心地が良すぎるんですよ。ただ、満足してしまったらこのまま人生終わっちゃうんで。もう38歳だし。死ぬ間際に「俺はこれをやったんだ」って思いながら死ねるようなことをしたいね。

――若い技術者に向けてアドバイスはありますか?

取れる資格はバンバン取ってほしい。例えば玉掛けとかグラインダーの刃の取替えとか、「こんなん使わないだろ」って資格でも、自分が多少でも携わるんであれば、取ったほうがいい。何が危ないのか、どうすれば危なくないのかっていうのは、学んでみないと、やってみないと分からないから。現場の安全を管理する人間が、この作業のどこが危ないのか蓋を開けてみるまで分かんない、ではしょうがないんですよ。色んな仕事をやってきて思うのは、広く浅く精通している技術者って本当にいないんだよね。

それにICT施工もそうだけど、お客様に技術提案をするためには自分の中に材料を持っておかないといけないわけだから、自分の懐を広げること。そのためにも何事も自分で体験することが大事だと思います。

あとは、コミュニケーション。自分も裏では色々言われてるかもしれないけど。でも、思ってることは口に出さないと伝わらないよね。うちの息子も17歳になったんだけど、不貞腐れてるんだけど何も言わないから理由が分からないんだよ。実の子どもでさえ分からないんですよ。それを他人が察しろっていうのはやっぱり難しい。もちろん、まずは上司がはっきりと明確な指示を出すことが前提だとは思うけど、しっかり自分の意見を持って頑張ってほしいね。

東條翼さんプロフィール

2014年に福島第一原発へ単身赴任。その後、ウィルオブ・コンストラクションに転職し、一貫して同原発の廃炉に向けた工事管理を担当。

東條翼さんのStoryはこれからも続きます。
シェアで建設技術者の応援をお願いします!

チャンスメイキングストーリーとは

株式会社ウィルオブ・コンストラクションでは、
これまで多くの建設技術者の方々の転職活動をサポートしてきました。
当社を通じて転職に成功された方々の事例の一部をご紹介します。

Chance Making Story TOP 

こちらのStoryもおすすめ

Chance Making Story TOP 

私たちは、
仲間を募集しています